私は私じゃい!!!!!!

大学4年生。私は私じゃい!!!のマインドで思っていることを書きます。 今が人生の分岐点な気がしている。

はじめての自己開示・その6【他者から見た自分は自分?】

見えない規範に従って

規程された見た目

そんな外面で判断されて

自分じゃないなと思ってた

 

 

見た目や属性のイメージと、中身とのギャップについてのお話。

 

 

私、過去と今

「あいつ、あんなことするタイプやったっけ」

大学3年のゴールデンウィーク、久しぶりに会った高校で同じ野球部(私はマネージャー)だった男の友人が、私を見て放った言葉だ。高校時代の友人何人かと外を歩いていた時、気になる店の看板があったので、私は集団を離れて見に行った。この些細な行動から、彼は今の私が高校時代の私とはどこか違うと感じたらしい。

 

彼の言葉は、過去の私が見えない規範に固められていたという事実を、今の私に突き付けた。

 

私の見た目に合う中身

はじめての自己開示・その5【教授の洞察】でも少し述べたが、私は清楚で従順で無垢な女の子の立場を中高で確立していた。これは、私の見た目が幼くかわいらしい感じだったことにより規定された振る舞い方だったと考えている。事実、モテたり、良い成績もらえたり、周囲から一目置かれたりと好都合なことも多かった。だからこそ私は、何の疑念もなくそれを自分の一面と把握していた。私は人生という長い年月をかけて、自分の見た目と中身を無意識的につなげるように振る舞う術を身につけたのだ。

 

極限のマネージャー

高校の部活動でマネージャーというポジションを選んだのも、このような自己認識とマネージャーのイメージに影響されたのだと思う。事実、今の私を知っている人は、私がマネージャーをしていたと言うと、ちょっと想像できないと言う。

 

マネージャーのアイデンティティ取り入れによる「自己固め」は、それまで固められ続けてきた「形」に抵抗し、反発する契機となった。私にも、さすがに我慢の限界が来た。

 

マネージャーとして選手のサポートに徹する毎日。本当に私がやる必要があるのか?という雑務をこなし、野球部マネージャーとしての自分の存在意義がわからなくなってしまった。親父気質の監督たちにとって気持ちいい言葉を上手く投げかける子の方が重宝されるのも居心地が悪かったし、時にただ女性として搾取さることも気に食わなかった。

 

「このまま、見た目に合った自分を続けると、”自分”が死んでしまう。」
だからと言って当時の私にはマネージャーを辞める勇気もなく、無の気持ちで引退まで続けたのだが。大学に入った私は、しばらく過去の自分に引っ張られていたのだが、最近になってようやく”自分”を出せるようになってきた。

 

ギャップを自覚し、思うこと

自分の外面に規程されたイメージに内面を無意識的に合わせた結果、周りが自分に対して抱くイメージと本当の私の溝がどんどん広がっていった。

 

見た目と心の性が合致しない人の感覚もこのような感じなのだろうかと想像する。人種に対する偏見も、苦しみの構造は同じなのだろうと思う。私の何倍も何十倍も苦しいギャップなのだと思う。だけど、少しでも重なる部分があるのなら、このギャップによる苦しみを知る者として、理解を示す行動をとっていきたい。


結論、イケてる世の中にしたい~~~!!!

 

 

 

 

 

大学で何してたっけ・その2【脱・English allergy】

私が大学で得た財産のひとつが、イングリッシュ・アレルギーを克服したことだ。

 

【イングリッシュ・アレルギー】英語で書かれているというだけで、文字を読もうとしなくなる症状を指す。多くの日本人が有する英語に対する拒絶反応。※出典:わたし 

 


国際系の学部に所属している者として英文はペロッと読めないとアカンやろ!というプライドが、私の英語に対する拒絶反応をなくした。

 

(ひとつ断っておくと、この記事は英語苦手克服のためにこんなことしました!みたいな立派なものではありません!)(だけどそれ以上に大切なことを書いているので是非読んでほしい!)

 

 私は、特別に英語に憧れをもったり、海外に興味を示したりするタイプではなかった。どちらかと言えば、ほとんど英語と関わりのない日本人だ。たまたま選んだ”国際学部生”としての肩書きが私を積極的に英語に触れさせたので、私はこの偶然に感謝せねばならない。

こんな私から言えることは、「イングリッシュ・アレルギーの克服は本当に重要」ということ!
理由は、海外の報道に目を通すことに抵抗がなくなるから。日本でなぜか大きく報道されない割と重要な情報を得ることができる。日本に関する報道に関しても、海外の報道の方が質が良かったりする。(教授談)
ざっくり言うと、偏った情報にのまれにくくなるということ!

 

私は海外のニュースアカウントをツイッターでフォローし、目を通すようにしている。

 

個々人が英文の資料を読めるようになり、幅広い知見を得られるようになれば、社会に対するリテラシーが全体的に向上し、みんなでよりよい社会をつくりやすくなるはず。


今、なんで英語勉強してるんや…となっている方がいるならば、これを読んで勉強のモチベーションを持ってもらえれば幸いだ。今勉強していることは、巡り巡って自分の生きる社会のためになる。

 

日本ではまだきちんと議論されていない話題が、英語の世界ではたくさんあがっている。政治、環境、人種、ジェンダー…… 英語で直接情報を得られれば、世界的な問題に対して出来ることを考え、すぐに行動することができる。また、世界で起きていることに目を向けると、日本では普通になっていること、仕方ないで済まされていること、それに対してもっと声をあげてもいいということに、気づくきっかけにもなる。自分たちの生きる世界は、自分たちでつくれる! 私たちはまず、このことに気づく必要がある。

 

まとめると、英文を読み情報を得るという行為は、自分たちの生きる社会をよりよくする時にきっと役に立つよ!ということ。


知識は人を救います。正しい知識こそ、優しさです。

 

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

はじめての自己開示・その5【教授の洞察】

「世の中がよくなっていく(便利になっていく)ことに対して、あまりよく思ってないよね」

「経歴なんかを見ると普通で変わったことをするタイプではないんだけど、実は人と違うことをするのにあまり抵抗がない人なんだろうなと」

「口角のあがり方が不自然だった」「えくぼもあって、本当はいたずらっ子みたいな笑い方をする人」

 

 

自分で気づいていなかった自分。言葉にされて、ハッとした。
「そう、それが私じゃん」

 

 

うちのゼミの教授は洞察力がすごい。表情、仕草、話し方、文章の書き方、経歴、出身地などから、その人の思考・志向はお見通しだ。心の奥にはあったが言葉になっていなかった思いを掬い上げてもらったことが多々ある。

 

 

私はずっと、強い者の顔色を窺ってきた。どう振舞えば、その中での権力者に、私がそこに存在することを認めてもらえるか。時にそれは親であり、先生であり、クラスの中の影響力がある者であったりした。だいたい、正しいことを平和主義的に訴えれば、周りは私を良い子と認識した。清楚で従順で無垢な女の子の立場を私は確立した。モテるし、いい成績もらえるし、親戚からも褒められるし、この方が好都合だった。

 

これは、私の顔つきが子どもっぽく身長も小さく、かわいらしい感じだったことにより規程された振る舞いだと考察している。私の外見から、真面目で優しくやや弱々しい感じの内面を想像して、周りは接してくる。私もそのように接されて、それが私なのだと思い込み、また接する。こうして私の虚像が、自己にとっても他者にとっても実像として浸透していく。

 

しかし、私は内側の自分と外側の自分にギャップがあることを薄々感じていた。魂ここに在らず、別の人間の着ぐるみをかぶっているかのようだった。自分の人生を生きていない。不自然な笑みが顔にへばりついた。

 

私はこの居心地の悪さから逃れるため、人間に対して無頓着になってしまった。
他人に付き合っても良いことない。

 

教授いわく、一人ひとりの才能を咲かすことが難しいのが日本の教育システムだそうだ。まる、さんかく、しかく、色々な形をした人間を、出来る限り「正方形」に整える作業が行われるのが教育の場になっている。このようなシステムの中で、私は特に立派に”普通の女の子”に成形されたのだと感じる。形を整えられないと見限られるのではという不安が、私にはあった。

 

しかし、つくられた皮をはいだ私は、本当に認められない人間なのか?いま、ここで認められないとしても、別の指標で認められるのではないか?

 

うちの教授は、ゼミに多様な人間を集めることを強く意識して、ゼミ生を選んでいるそうだ。人間集団は「粒ぞろい」より「粒違い」の方が強いし発展できると。
そうして、ゼミには個性が立っている人間同士、好きなように生きて、お互いに「それいいじゃん」と言い合える仲間が集まった。

 

私は、ずっと着ぐるみを脱ぎたかったんだとやっと気づいた。むき出しの私を認めてくれる世界がここにある。このゼミに入っていなかったら、私はまだ「正方形」だったに違いない。

 

きっと「正方形」のまま、居心地の悪さを感じている人は沢山いるのではないか。


枠にはまれない人間が認められる社会をつくるしかない。「普通」であるために自我を殺すことを努力と呼んだきた社会を、変えていくしかない。そう強く思うようになった。

 

私はもっと面白い形に”戻って”、それでも生きていけるんだということを、この社会に対して証言したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数百文字のゼミ志望書。このたった数百文字から、変わりたい私を見出してくれた教授に、深く感謝します。

 

 

大学で勉強したこと・その0【勉強のはじまり】

私の大学での勉強は、3年生のときに始まった。
勉強とは、自分の頭で考えること。それが本質的にどのようなことなのか体で理解したのが、やっと3年生になったときからだった。大学で学んだことが、自分の一人格を形成するようになった。ここでは、学びが自分の骨となっていった過程を記録しようと思う。

 

運命のゼミ選択

大学2年の秋、私はゼミ選択に悩んでいた。専攻したい分野を絞り、なぜその分野を学びたいのかを記述した志望届を出す必要があった。しかし、私はまだ特別に学びたいことが定まっていなかった。というよりも、自分が深めたいテーマと学部で取り扱うテーマが乖離していた。
20ほどあるゼミの中で、どんな研究内容でも受け入れてくれるゼミが2つほどあった。しかし、その自由度により学生からは人気が高く、倍率が高いと噂されていた。また、ゼミ生の学習意欲が比較的高いことでも有名で、私はついていけるかどうか自信があまりなかった。だからと言って他に希望するゼミが見当たらないので、私はその2つのゼミのうち、社会学政治学により主眼を置いたゼミへ志望届を提出した。そして運よくそのゼミに入ることが決まり、自分の信念を呼び起こすような驚きの学びがはじまった。

 

そこは日本論ゼミ

卒業論文のテーマを割と幅広く受け入れてくれるという点でゼミの自由度は高いのだが、普段は先生の提示する文献を読みこみ、それについて議論を交わすことが毎週のゼミ活動だ。先生が課題に出す文献は、日本とはどういう国なのかをありとあらゆる角度から私たちに考えさせる。私は、自分の暮らしてきた日本という国の在り方を知っていくことになる。それと同時に、これまで何となく感じてきた生きづらさの本質に迫っているような気がした。うまく言葉にできない生きづらさに蓋をせず、形にして声をあげていくべきだと思うようになった。それぞれの文献に書いてあること、私がそこから何を感じたのかをきちんと言語化していきたいと思う。

 

 

私のこれから・その1【ぬいぐるみと私】

最近、ぬいぐるみつくりたいな~と思っている。

 

なぜ、こう思い至ったのか自分でもよくわからなかったので、自分を解析してみた。
たぶんここからは哲学。

 

私はありがたいことに、幼い頃から沢山の習い事をさせてもらっていた。小学生の頃は週5日、習い事に通っていた。エレクトーンを週3日、残りの2日はそろばん、ダンス、水泳、英語を、どれかを続けたり辞めたりしながら通っていた。色々やってはいたものの、自分から挑戦したいと言った習い事はひとつもなかった。すべて親が私にさせたかった習い事、または友人に誘われなぜか行くことになった習い事だ。私の意思に関係なく、気づけば多忙な毎日を送っていた。特に辞めたいとも思わなかったのは、すべて(ダンス以外)周りの人よりもちょっとだけ上手だったからだと思う。

 

自分の意見を持つことがなかった私は、言われるがままに色々なことをこなしてきた。中学でも高校でも変わらず、「これをやりなさい」と言われたことを必死に完璧にこなすことに躍起になっていた。それが成績や部活動での立場という評価に直結するのだから仕方ない。何も言わずに従う私はとても良い子だったに違いない。

 

だけど、そのおかげで「楽しい」をどこかに置いてきてしまったみたい。自我があるにもかかわらず自分の気持ちを押し込めすぎて、自分が何を楽しいと感じるか忘れてしまった。生きている心地があまりしなかった。


「この自分は本当に自分なのか?」「自分って、何だ?」
人から何かを課されている自分から、何者でもない自分になりたい。自由な存在にあこがれた。


自分という主体を、どこかに投影したい。その先がぬいぐるみだった。何にも課されていないぬいぐるみに自分自身を移して、ぬいぐるみと本当の自分の2者で会話した。その時だけは自分の意思を確認できた。しかし、現実世界に戻された私は、また真意のない自分に戻ってしまう。ほとんど唯一、自分と向き合ってくれたぬいぐるみが私は好きだ。

 

 ただそこに居ることが許され、ただ在るだけで誰かの役に立つぬいぐるみソノモノに憧れもした。私は自己を投影すると同時に、ぬいぐるみを客体としても愛していた。いとおしいなと思う気持ちが、毎日私の気分を少しあげてくれた。ぬいぐるみは、愛を抵抗なく受け止めてくれる。ぬいぐるみは、誰もが無条件の愛を向けることができる対象だ。

 

 

 

 

まっさらなぬいぐるみを作って、自分と向き合うことの持つ意味を表現したいな。伝えたいな。自分の感情を押し込めず、そのぬいぐるみを自分らしく彩ってほしいな。

かわいくてチャーミングなぬいぐるみを作って、人々が愛する気持ちでいっぱいになって幸せを感じられたらいいな。ふかふかで愛しいぬいぐるみを眺めたり抱いたりすることで、少しでも毎日に微笑みが増えたらいいな。

 

こんな思いをのせて、私は自分のつくったぬいぐるみを世に届けたいと思っている。
自分を愛し、誰かを愛する。人間としての大切な感情を、私はぬいぐるみに託したい。

 

卒論の足跡・その1【#cottage coreとの出会い】

目次どんっ

 

3日前、Twitterの中をうろうろしていたら、目を引く記事を見つけた。

 

〈コテージコア〉という美学

 このタイトルと共にキノコやかわいらしいバンビの絵、美しい湖畔やガーデンなど、西洋の田園を彷彿とさせる写真が並べられている。

 

記事を読んでみると、どうやらTikTokTumblrで”cottage core”という美的テーマが流行っているらしい。2018年頃、Tumblrで発祥したそうだ。試しにIGでもタグを検索してみたところ、3万件弱の投稿があった。だいたい10代後半から20代半ばくらいの人たちが多い印象。ムーブメントはまだ英語圏に限るといったところだろうか。IGの#cottagecoreでは、イギリス、アメリカ、南アフリカからの投稿を発見した。特にイギリスが多い印象。#cottagecoreと共に、cottage aesthetic, honey core, grandma core, fairly core, goblin coreなどがタグ付けされていた。

 

以下は記事の要約。

 

cottage coreと資本主義

cottage coreは元はと言えば、都会や物質主義・資本主義社会から逃れて、自然に囲まれて静かに暮らすことへの憧れの表出だ。Tumblrのコテージコアコミュニティーでは、「そもそも土地は誰のものなのか」「私たちが食べている食物を交錯する際に搾取されているのはだれなのか」などの議論がなされている。TikTokでは、クロスステッチで刺繍された鎌と槌(共産主義の標章)がよく投稿されている。

 

cottage coreとジェンダー

コテージコアムーブメントには、ジェンダーを巡る生きづらさもかかわっているようだ。都会から離れた暮らしを望む一方で、田舎ではまだLGBTQが認められる状況ではない。そんな葛藤を抱えた若い女性たちが、ソーシャルメディア上で理想の暮らしを作り上げた。コテージコアコミュニティには、女性やLGBTQ、有色人種に対する差別意識を持つものはいない。

 

cottage coreと環境問題

オーストラリアの森林火災を受け、コテージコアを美化しすぎているかもしれないという考え方も出てきた。

 

 記事のまとめ

コテージコアのムーブメントは、都会の暮らしで「あたたかみ、優しさ、思いやり、大事に育てていく関係」の機会を失い生きづらさを感じる人々が、理想的な暮らしを切望した結果、手軽に浮世離れできるインターネットで理想的すぎるほど理想的な世界をつくりあげていった現象だと見てとれる。

コテージコアは現実逃避ではなく、自分が育てていきたい未来を想像するためのひとつの機会として、若者たちに強く自分らしく生きるきっかけを与えている。

 

 

私とcottage core

この記事を読み、私はハッとした。私、コテージコアの精神流れてるじゃん…。
すべてが許されるなら自分が食べるものを自分でつくり、草原で走り回る人生が良いな~なんて考えていた。犬と猫と羊と一緒におだやかに暮らしたいと思っていた。

 

私の卒論は、日本の均一的な都市をどうにかより個性的にできないかという目的のもと進めようと考えていた。

この思いの根底には、個性が許容されにくい生きづらい世の中にノーを言いたいということがある。卒論でそれを論じるための材料を、現実の都市に設定しようとしていたところだった。

 

しかし、コテージコアの流れを研究することも、私のやりたいこと、訴えたいことにかなり近いのでは?資本主義社会になんとなく生きづらさを感じている同年代が、インターネットで新たな潮流を生み出している。とても今っぽいし、独自性のある論文になりそう…?

 

試しに、このテーマでクエスチョンを立ててみる。
1.「どのようにしてコテージコアが広がったのか」「なぜコテージコアが生まれたのか」
2.「社会に疑問を持つ人間は今、どのような形で行動を起こしているのか」「日本で見られるコテージコア的風潮にはどのようなものがあるか」
ざっと思いついたのはこれくらい。

1はコテージコアそのものに注目する論文。2は、コテージコア的風潮が日本で見られるかを研究する。住所を持たずバン暮らしをする人のテレビ特集、グランピングの流行、#丁寧な暮らしなど、都市的生活から田舎的生活を横断しようとする動きに注目してみる。1と2を横断する形でもいい気がする。

どちらにしても、風潮の背景の洗いざらいと行動の中身をまとめる形になるのかな…?

 

共通するのは、都市的生活から田舎的生活の横断の部分。メディアしかり、生活の場所しかり、余暇の使い方しかり、この現象がいたるところで、世界的に表れているよね、ということ。

 

 

 

 

 

とりあえず、進捗はここまで。
最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

 

 

 

 

卒論の足跡・その0【現実の都市】

大学4年の5月。そろそろ卒業論文をどうするか真剣に考えていかねばならない。1月の提出締切日まで、約7カ月半ほどの足跡を残しておこうと思う。

卒論を書くのは案外楽しみだったりする。思考力の欠片もなかった大学1年時の私から、4年かけてどれほど成長したのか目に見えるので。自分がどんなことに関心を向けているのか、それがどのような経験から来たのかに気づく良い機会にもなる。

 

3年の時に一度だけ卒論のテーマを考えていた。その時思い浮かんだのは、「日本の均質的なまちなみをどうにかできないかな~」ということだった。そのタネになる研究をしたいと思った。
きっかけは、留学の経験(参照:大学で何してたっけ・その1【留学】)と、転勤族で複数の町での暮らしを経験したこと。どこに行っても同じ構造の日本の都市性にうんざりしていたから。また、都市的になればなるほど、行きかう人が人生楽しくなさそうな顔だったから。都市で暮らす人間を見て、子どもながらに「どうしてこうもイライラしていて疲れているの?」と思っていた。カナダに行って、個人が個人でまちを彩る光景を目にして、こんなことができるのか!と感動した。


根底にある信念には、生きづらい世の中にノーを言いたいということがある。
卒論でそれを論じるための材料が、今は現実の都市だということ。

 

このモヤモヤを、何の学問でどのように調理するか・・・
それが全然思い浮かばない。リベラルアーツ寄りの学部なので、自由度が高い分、何を材料にしたら良いかを絞るのに労力を要する。
今、パッと思い浮かぶのは以下↓

 

近代化との調理
所属するゼミでは、よく近代化、合理化、欧米化が果たして”良い”ことなのかという議題が挙がる。”私たち”は現在、それが良いとして評価されるべき世界にいるが、それは”そちら側”の人たちによってつくられ仕向けられた世界でしかない…?
都市化は、近代化とともに起こった。日本は、どのように都市化していったのか。そのプロセスを欧米との関係をなぞらえながら論じる、歴史学的切り口。

→ 規模がでかすぎない?しかも誰かがすでに研究していると思うので、何かを考えるヒントにはなるかもしれないが、自分の主テーマにするのは違う。

 

エドワード・レルフ『場所の現象学』との調理
地域社会を理解するという授業の中で、子どもたちの地元意識に関心を持った私に教授がおすすめしてくれた一冊。刊行は1999年。以下、筑摩書房の「この本の内容」からの引用。

人間が生きるということは、身の回りの空間や環境に自分なりの様々な意味を与えることと同値である。自らの直接体験による意味づけによって分節した空間が、すなわち「場所」である。場所は、大量生産と商業主義が深化した現代においては、多様だったはずの意味や環境適合性を欠落させ、お仕着せのものとなり、「偽物の場所」のはびこる「没場所性」に支配される。本書は、ディズニー化、博物館化、未来化などの現代の没場所性の特徴を暴き出し、キルケゴールカミュやリフトンらの文学や哲学の成果も動員しつつ、場所に対する人間の姿勢と経験のあり方を問う、現象学的地理学の果敢な挑戦である。

→ 共感の嵐、参考の一部には大いになる。

 

 

 

具体的なクエスチョンを設定しない限り、上2つをどうにも有効に活用する方法が思い浮かばない!!!
身近から疑問を発見するのが一番やりやすいらしいので、身の回りにアンテナを張っていこう。