私は私じゃい!!!!!!

大学4年生。私は私じゃい!!!のマインドで思っていることを書きます。 今が人生の分岐点な気がしている。

私のこれから・その1【ぬいぐるみと私】

最近、ぬいぐるみつくりたいな~と思っている。

 

なぜ、こう思い至ったのか自分でもよくわからなかったので、自分を解析してみた。
たぶんここからは哲学。

 

私はありがたいことに、幼い頃から沢山の習い事をさせてもらっていた。小学生の頃は週5日、習い事に通っていた。エレクトーンを週3日、残りの2日はそろばん、ダンス、水泳、英語を、どれかを続けたり辞めたりしながら通っていた。色々やってはいたものの、自分から挑戦したいと言った習い事はひとつもなかった。すべて親が私にさせたかった習い事、または友人に誘われなぜか行くことになった習い事だ。私の意思に関係なく、気づけば多忙な毎日を送っていた。特に辞めたいとも思わなかったのは、すべて(ダンス以外)周りの人よりもちょっとだけ上手だったからだと思う。

 

自分の意見を持つことがなかった私は、言われるがままに色々なことをこなしてきた。中学でも高校でも変わらず、「これをやりなさい」と言われたことを必死に完璧にこなすことに躍起になっていた。それが成績や部活動での立場という評価に直結するのだから仕方ない。何も言わずに従う私はとても良い子だったに違いない。

 

だけど、そのおかげで「楽しい」をどこかに置いてきてしまったみたい。自我があるにもかかわらず自分の気持ちを押し込めすぎて、自分が何を楽しいと感じるか忘れてしまった。生きている心地があまりしなかった。


「この自分は本当に自分なのか?」「自分って、何だ?」
人から何かを課されている自分から、何者でもない自分になりたい。自由な存在にあこがれた。


自分という主体を、どこかに投影したい。その先がぬいぐるみだった。何にも課されていないぬいぐるみに自分自身を移して、ぬいぐるみと本当の自分の2者で会話した。その時だけは自分の意思を確認できた。しかし、現実世界に戻された私は、また真意のない自分に戻ってしまう。ほとんど唯一、自分と向き合ってくれたぬいぐるみが私は好きだ。

 

 ただそこに居ることが許され、ただ在るだけで誰かの役に立つぬいぐるみソノモノに憧れもした。私は自己を投影すると同時に、ぬいぐるみを客体としても愛していた。いとおしいなと思う気持ちが、毎日私の気分を少しあげてくれた。ぬいぐるみは、愛を抵抗なく受け止めてくれる。ぬいぐるみは、誰もが無条件の愛を向けることができる対象だ。

 

 

 

 

まっさらなぬいぐるみを作って、自分と向き合うことの持つ意味を表現したいな。伝えたいな。自分の感情を押し込めず、そのぬいぐるみを自分らしく彩ってほしいな。

かわいくてチャーミングなぬいぐるみを作って、人々が愛する気持ちでいっぱいになって幸せを感じられたらいいな。ふかふかで愛しいぬいぐるみを眺めたり抱いたりすることで、少しでも毎日に微笑みが増えたらいいな。

 

こんな思いをのせて、私は自分のつくったぬいぐるみを世に届けたいと思っている。
自分を愛し、誰かを愛する。人間としての大切な感情を、私はぬいぐるみに託したい。