はじめての自己開示・その1【人間とのかかわり】
ブログを書くにあたって、 自分だけがもっている”有益な”情報など無い。私は私の内側を開示するほか、自分らしいことは何も持ち合わせていない。
私は、周囲に興味を持つことが自分にとって”害”になると教えられてきた。それが母のとっておきの教え。
他人のいざこざには入っていくな。他人の悪口は言うな。とぼけたふりをしておけ。
どこからどこまでが他人で、どこからどこまでが悪口かを理解していなかった幼い私は、ひたすらにとぼけることを続けた。とぼけた自分が ”演じられた自分” なのか "本当の自分" なのかの区別もついていなかった。とにかく、とぼけると母は「それがあなたの良い所」だと褒めるので、とぼけることを続けていた。
そうしているうちに、周囲について何も考えずに生きることが得意になっていた。母によると、何も考えなければ、人間関係で困ることはないはずだった。
他人の何気ない言葉に気をもんだり、学校内の無意味な派閥闘争に心を痛めることもなくなる。中立を保つことができる。誰の敵でも見方でもない。曖昧にしておけば闘わなくて済む。いい意味でとてもフリーだった。
しかし、人間関係という超難題の練習問題を解いてこなかったということが、自分に巡ってくるはずだったチャンスを遠ざけてきたのではないか。21歳、社会に出る目前で、やっと分かったヒト科の繁栄方法。
人間関係を築く=この社会で生きるということ
ひとのためにいきていなければ、いきているいみはない???
ということが、最近の気づき。
そうじゃないと言える解を持っている人もいるのだろうが、少なくとも、「ひとのためにいきていなければ、いきているいみはない」が成り立ついまの社会システム。
他人からの好意をスルーしたり、大人数での話題に入っていけなかったり(いかなかったり)、共有したい情報や感情が全くなかったりしてきた。
何が苦しいかというと、自分のしてきた周囲とのかかわり方は自分を守るためのものであったはずなのに、そうして鍛えられた人間への執着のなさは、本質的に役に立たなかったということ。テスト勉強を一生懸命してきたのに、出題範囲を間違えて勉強してたみたいな感じ。
私は、ちゃんと社会の成員になりたい。